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[子育て, 起業・独立]

今が一番輝いているLINDA世代の履歴書「その花は枯れない8人のμ’sストーリー」オレル千恵子さん

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私たちはまだまだ旅の途中!
自分の可能性を手放さず、新たな挑戦を恐れず、夢を見つけて追い続ける、そんなLINDA世代の女性8人の枯れない生き様に迫ります。

〜専業主婦から47歳で起業〜
建築デザイナー&(株)ファイベック代表取締役(50歳)
オレル千恵子さん

プロフィール:
20代より作詞家、ボイストレーナーとして活躍。専業主婦を経て現在は不動産から内装デザインまでトータルプロデュースする(株)ファイベック代表。


歌の仕事も建築デザインも創造するという点は一緒!

アメリカから来日して小さな会社を立ち上げたばかりだった主人と、結婚したのは33歳のとき。当時の私は作詞家、ボイストレーナーをしていました。

結婚を機に仕事はある程度セーブするようになったんですが、子供が2、3歳になる頃までは、ボイストレーナーのしごとをまだちょこちょこやってはいたんですね。
でもあるとき「ママが必要だ」っていう子供の心の声が聞こえたんです。ハッとしました。いずれ育児から手が離れたら、そのときにまた仕事を
すればいい、今は子供と一緒に過ごそうと決めて完全に家庭に入りました。

建築デザインのしごとを始めたのは流れですね。軽井沢にある別送のデザインをしたり、主人の会社で建設を進めていた、マンションのモデルルームの内装を
手掛けたりしているうちに、デザインの案件を振られることが増えて、さらに外部から仕事もお願いされるようになって、いつの間にか職業として成立するようになっていました。

ボイストレーナーから建築デザインというと、ずいぶん飛躍があるようですが、歌手のプロデュースも空間のプロデュースも、創造するという点で私の中では地続きなんです。
不動産の手配から建築をプロデュースする会社を興したのは47歳のときです。会社まで通勤する移動時間を考えると効率が悪いので、オフィスは自宅の2階に構えています。
家に職場があるので、洗濯機を回しながらでも仕事の電話ができる、そういう一石二鳥が私のスタイル。

今でこそ落ち着いた生活を送っている私たち一家ですが、リーマンショック後の数年間はこの先どうなるのか全く予想がつかない日々を過ごしていました。
リーマン以前、主人の会社は急成長を遂げ、会社立ち上げから5年で上場を果たすほどの勢いがありました。すべては順風満帆、それがリーマンショックを境に一転。天国から
地獄に突き落とされたような、不安な日々に突入しました。


自分に体力がなかったら他人の荷物は持てない

リーマンショックが起きた当時は、主人がシンガポールに会社を立ち上げた直後。私たち家族もシンガポールにひっこしたばかりでした。
リーマンの影響で主人は東京での対応に追われ、日本から離れられなくなっていたため、私と息子だけが右も左も分からないまま現地に取り残されました。

立ち上げたばかりのシンガポールの会社の対応もままならなかったので、現地の社員からは「どうなっているんだ」と連日私のところへ連絡が入り、対応に追われました。
ようやく荷物の整理がついて3ヵ月ほどたった頃でしょうか、今度は急遽シンガポールの家を引き払い東京へ戻らなくてはならないかもしれないと連絡が入りました。
東京の家もどうなるかわからない、いずれは引っ越す予定で建設していたマンションも手放さなくてはならなくなり、これから何がどうなるのか明日住む場所が
なくなるかもしれない状況の中、またもや引っ越しの作業に追われる事になりました。
引っ越しは本当にいやになるほどしました。結婚後に既に数回引っ越しをしており、リーマンショック前後での引っ越しは1年半で9カ所。あの頃は明けても暮れても、
気が遠くなるほどのダンボール箱をひとりで整理していましたね(笑)。

ここ10年だけでも本当にいろいろなことが起きた私の人生ですが、私自身は人生はジャーニーだと思っています。いずれ灰になっちゃうんだからいろんなことにチャレンジしたいです
し、社会貢献をしたいという思いも強くあります。
女性のためのサロンを開いたり、やりたいことはたくさんあります。
そのためにはまず自分が力をつけること。
自分に力がなかったら人の荷物は持てないじゃないですか。
そのために会社も立ち上げました。1つずつ事業成功させて、そのお金で何ができるかを考える。稼いだお金で社会に貢献して灰になる、最後にひと花咲かせて、
いい灰になるために生きているんです、私(笑)。

P22_LINDA世代の履歴書

撮影/小根山勇樹(JOPS)、飯野高拓 取材・文/ささきみどり デザイン/高橋奈々絵(meets)